空手への思い

私が空手に出会って想うこと

投稿日:2017年8月31日 更新日:

最近のニュースを見て!           2019年9月13日

最近のニュースを見て切実に思う事があります。それは自分で自分を守ることの重要さです。日本は世界のどの国よりも安全だと自慢をしていたのはもう昔のこととなってしまったのでしょうか?

物事や知能がどんどんハイテクになり進歩してきているのに、こと自分の身の安全を進歩させることは進んでいないように思えます。昔の世界のように身を守ったのは刀、槍、鉄砲など武器を身につけていた時代、そんな時代に戻る事はできないでしょう。

我田引水ですが、やはり空手や柔道、剣道などの武道やいろいろな格闘技はいざという時には役に立つでしょう。

私は空手は究極の護身術として学ぶべきではないかと思っています。

まず第一に健康で強い身体作り、第二に素早い動作や繊細な感受性、第三にそして術と技を学び修練する事。使える空手、術技出会ってスポーツや大会試合でないからてが大切だと思います。

そのためにどの様な技や術を練習したらよいかこれからです。

 

琉球の古の空手家を想う

古の沖縄空手の先生方は本当の空手を本土に教えることを躊躇していて、
空手型の表面的でまるで舞踊の形のようにしか教えてくれなかったのではないか。
そんな話や解説をよく耳にします。

確かに型の指導書や写真などからもなんだか身体をほぐすような準備体操や舞踊
ダンスの様に見えてしまいます。
だから型などどんなに練習しても強くはなれないし、いざという時にも全く使えない!
いや、型は分解の連続したものだから大切なのだと良く言われます。
本当に古の先生方はそれを批判する人達にどの様に説明や指導をしてきたのでしょうか。

あくまでもわたしの視点でしか伝えられませんが、きっとそれぞれの考えは間違って
いないのかもしれないと思います。

例えばナイハンチは足腰を鍛える少林流の鍛錬型です。あの騎馬立ちの不自然さと
しんどさ、カニのような動き、なんで敵が横にいるのか?て。いやそれが大切だ
大切だと言われても、かなりの経験者でも本当のところストンと腑に落ちないと
思うのです。

きっと沖縄の古の先生方は自分では分かっていても、それを伝えることに空手という
武術の特異さを理解すれば弟子が教えられて得るよりも、修練と経験で得られる
ものの方がより正しく伝わるのだろうと考えたのでしょう。

そう、型の中にある「手」を教えてしまうとその形にこだわってしまう。本当に
大切な技と術が見えなくなってしますのではと考えたのでしょう。
分解をやって体捌きとタイミングを空手型として何度でも何度でも体に染みこませる。
自在に手足、足腰を使いこなす技と術を身につけてこそ大切な空手の練習なのだと
伝えたかったのではないでしょうか。

技というものは鍛錬しないと衰えてしまいます。足腰を鍛える、筋肉を鍛える。
スピードキレを鍛えなければどんどん衰えていきます。
一方、術というものは一度覚えたら決して忘れるものではない、例えば自転車の
乗り方泳ぎ方など、空手的には体捌きやタイミングや間合いなどです。でも、
その術というものは一朝一夕に身につくものではない。嫌というくらいに
反複練習してそして蹴り、突き、受けという技を駆使して型の分解と、組手の練習を
重ねれば更なる術が磨かれるというものです。

正しいか正しくないかのご批判を覚悟して想ったこと。
2018年3月6日 中川誠之輔

空手とは日本が世界に誇れる武道です。2020年のオリンピックの新種目としても採用され、世界中で約1億3千万人人の愛好家がいるといわれています。
でもスポーツ、競技という華やかで勝敗のみに注目される多くのスポーツ競技とは一線を分かちます。勝っても、負けてもお互いを敬う心を持つ正に武道の日本独特な精神・心を第一に育まれたのもだからです。

古来、琉球で手(Tiy)が生まれました。大陸や南の国々の影響を受けながら武士(ブーサー)と言われる支配階級の人びとにより、刀剣、槍の少ない琉球王国において、戦いの武器として一子相伝の武道として密かに伝えられ発達してきました。
それは沖縄の歴史や民族のように極力殺し合う戦いをしないため、自分の身を守るためだけの武術であったのです。
また日本の古来の武士道と共通するものです。
少し変だな?と、思う方もいるでしょうが、深く深く思えば「武」とは「弋」(ほこ)を「止る」と書きます。
昔の武士は生きるか死ぬかの間で身を守るため、平和にすごすための最も必要なことが武術であったのです。

2018/1/30 中川誠之輔

軽い気持ちで空手をはじめて、もう二十有余年になりました。

空手や武道を志す人達にとってはまだまだ積み重ねが足りない。

青二才?でしょうか。

でも、その歳月に多くの仲間と出会い、子供達や大人達に、空手の難しさ、面白さといった魅力を伝えてきたように思います。

これから「私が空手に出会って想うこと」を少しずつでもお伝えしていければと思っています。

2017/8/31       中川誠之輔

 

月心会空手「型」について 私が想うこと

はじめから少し難しい話になってしまうかも知れませんが・・・。

基本Ⅰ~10本にすべての動きと技がある。それを確実に正しく習得すればすべての「型」が上達する一番の近道です。

型の始め自然立ちから終わりの自然立ちまですべての動きのなかで「体の重心と体の軸(体幹)」に意識を集中し、ぶれないよう、曲がらないように努める。

突き、受け、蹴りなど技は自分の体の中心線と相手の体の中心線の延長線上=正中線上に出すことが原則である。

型の動きの中で自らの目線も気合も技のひとつと思うこと。

間違った基本を練習すればするほど下手さが上達し、正しい基本を練習すればするほど上手さに磨きがかかる。

空手の正しい「体の動き」と「技」と「練習の努力」できっと見違えるような空手の型が上達すると思います。

2017/9/5    中川誠之輔

前項からの続きですが型の練習で心がけることはこの3つ

の大切なことがあります。

(1) 力の強弱  (2) 体の伸縮  (3) 技の緩急

(1)力の強弱とは;

人間は最初から最後まで力を込め続けることは不可能です。どこで力を込めてどこで力を緩めるか、型の動きに合わせて強弱をつくりその差が大きければ大きいほど力のこもった型となる。

だから力を出そう、出そうと力んでも思った力は出せない、人間の持っている体の自然な反発力を利用する。

たとえば、基本1本目正拳突きは突き手を2、引く手を8の力ですると鋭い力のこもった正拳突きとなる。

(2)体の伸縮とは;

体を鍛えることにより人間の体はバネとなる。手や足を伸ばしたり、縮めたりすることで自らの体を実際より大きく強大に見せたり、小さく素早い体に見せたりと自由自在の体となる。

この体の伸縮を使い自由自在に型の動きや技を繰り出せば、素早さや優美さを表現することができる。

気を付けなければならないことは手や足を伸ばしすぎることにより胸や脇、そして股(金的)を開いて無防備な形となってはいけない。それは体を使って「絞める」ことが大切である

(3) 技の緩急とは;

本来、空手の技はひとつひとつまたは二つ三つの連続した技となっており、それを組み合わせ連続して行うことにより一つの「型」(単独型)を形成している。

しかしそれを逆に分解してひとつひとつの技を忠実に行い、つなぎさわせても良い「型」にはならない。

だからひとつひとつの技の「意味」を理解し熟練することで、しなやかで柔らかな技、切れのある鋭い技、理にかなった美しい動きとなり、一貫した流れの動き中にこそ本当の「型」が完成する。

2017/9/11    中川誠之輔

 

今日は空手の気合い、掛け声についての想うことを書いてみます。

空手や日本の武道には必ずと言っていいほど掛け声が必要です。

気合いですね。なぜ気合いが必要なのでしょうか。

1、自分自身の気分を励ますため

2、自分自身の力を一ヶ所に集中させ、いつも以上の力を出すため

3、相手を威嚇するため

4、相手の気の起こりを挫くため

5、相手を迷わせるため

6、相手の攻撃を誘うため

7、相手を苛立たせるため

8、相手を驚かせるため

9、勝ちを知らせるため

10, 肺や丹田(おへその下にある見えない臓器?)を

発達させるため

多くの目的がありそうです。戦う相手や場所、状況によって

思いの目的や方法が違ってくるものでしょうが、絶対に

大切なことは自分の気を集中させ勇気を奮い立たせること

だと思います。

掛け声の仕方は古伝の書によると、

「エイ!」「トウ!」「シツ!」「ホウ!」「ヤ!」「ソレ!」だそうです。それ以外でも個人個人が一番いいと思った掛け声があるでしょう。

ちなみに、月心会空手では「エイ!」が岡田先生のご指導ですね。

2017/10/2    中川誠之輔

今更ながら…..知っておきたい武道の「礼法」とは。

空手は礼に始まり礼に終わると言います。でも礼のことについて

知っている事、教わる事が以外と少ない様に思います。

中世より武士階級の習わし、礼節として厳しく伝わっています。

蹲踞礼〔そんきょれい〕ー 相撲や剣道などで膝を着かず礼をする

折敷礼〔おりじきれい〕ー 左膝を着けて左拳を地に着け礼をする

跪座礼〔きざれい〕         ー両膝をおって正座のしつつ両足の親指を立てて礼をします。

正座礼 (せいざれい) ーこれは一般的な座り方、両足の親指を重ね、両手両肘を付けます

もちろん月心会空手は正座礼をしています。

でも最近では形だけになり,いい加減な礼を目にする事が多く有ります。

正しい礼は少し膝を開き正座し背筋を伸ばす、両手は拳を作り足の付け根

に、礼と言われたら素早く頭を下げ両手の指を閉じ三角を作る様にし、

軽く両肘も着ける。頭は地に着けず目で正面又は周りを窺うようにする。

直れの言葉で直ぐには頭をあげず、イチ、ニイ、サンと数えてからゆっくり上げて元の姿勢に戻ります。〔これは先生より先に頭を上げてはならないからです。〕

もうひとつ、立ち礼も気合と共にしっかりと頭を下げてください。

しっかりとした礼を心がけて空手の練習に励みましょう。

2017年12月12日   中川誠之輔

 

 

-空手への思い

執筆者:


  1. 岸 完治  より:

    中川師範、

    早速拝読させていただきました。型についてですが、私は全国大会
    で川元師範のアーナンクーを見て感動したというか鳥肌が立ちました。
    キレ、力強さ、そして独自の間合い、大きく型を魅せるというものが集約されていました。只々、練習をしてきた私にとって大変貴重な意識改革になりました。
    私には力が入りすぎてしまう、足幅が広いという悪しき癖が体に染みついてしまっています。一朝一夕には改善しませんが、コツコツと直していければと思います。
    これからもご指導のほどよろしくお願い致します。

  2. 岸 完治  より:

    昨日はご指導有難うございました。意識しながら力を抜き、力を入れるべきところで入れるというシンプルな事が出来るように練習していきたいです。半前屈の後ろ足の曲がり癖も直していけるよう、頑張ります。

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